言いたいことが言えるようになるための対人距離の測り方

良好なコミュニケーションのキモは「程よい距離感」です。人と人との境界線を明確にして心穏やかに。内気な人のためのコミュニケーション術。

エッセイ

実はみな、「常識」と戦っている

2017/06/13

昨年通っていた心理学スクールでは、グループ分けをしました。
僕らのグループは今でも親交があり、先日もグループでBBQをやりました。
グループの皆が集まると自然と笑顔になるような癒しのメンバーなのです。
在学中も、グループでオリジナルTシャツを作成したりして、和気あいあいと過ごさせて頂きました。

で、そのTシャツの題字を書いてくれたのがKさんでして、めちゃくちゃ達筆なんですね。
最近、書道で賞を受賞したとのことだったので、BBQの際にお祝いも兼ねました。

で、その書いた作品を見せて頂いたのですが、なんて書いてあるかわからないんです(^_^;)
単なる記号。

例えて言うと、「地層」が3つならんでいて、それがとある漢字一文字を表現しているんです。
正直訳が分からないんですね...

全然文字に寄せていない、完全なオリジナルな文字(記号)になっているんです。

これ、すごくないっすか?

これが実は人の「本質」ではないのかな?
とも思うのです。

「媚を売らない」が究極の自分軸

ピカソの「キュビズム」、とか、
立川談志の「イリュージョン」、とか、
ビートたけしの「みんな〜やってるか!」、とか、
松本人志の「ビジュアルバム」、とか、

見ている人を「置いてきぼり」にするような感覚。

観客に寄せていない。
観客に媚を売っていない。

これ、本質だと思う。

究極の自分軸。

幼い子が描いた絵画こそが「本物」

美大生の娘が、昔、幼稚園のころ描いた絵画にビックリしたことがあります。

お日様が異様に大きかったり、
ウサギやクジラが混在していたり、
人が逆立ちしていたり、

幼い子の描いた絵っていうのは、人生の経験値・データがない分、
「本物」だと思うのです。

一見、メチャクチャだけど、実は本質なんじゃないのかな...
幼い頃の娘の絵は、純粋そのものであって、逆に大人である自分が本質を見失って、無理してもがいている気がしたんですね。

幼児期を過ぎると、人は学習し、「メチャクチャ」を上手に修正していく。
いろいろと盛られていく...
吸収して吸収して、インプットしまくる...
お日様の位置・形状・大きさを的確に表現する...
ウサギや人間やクジラの生息する位置を的確にゾーン分けする...

それを「常識」と名付けてしまう。

学習・吸収する力が無くなった時、人は「認知症」だとか「痴呆」だとかいう...

つまり、(ここからは持論ですが)
僕等の考えている「常識」とは、実は単に無理していることであり、
幼少期と老年期が実は本質なのではないのかな?
と思ったりします。

なぜなら、幼少期と老年期は、誰にも媚を売らず、計算がなく、自分軸で居られるからです。

実は「常識」に無理している!?

なので、僕等がいま「常識」で苦しめられているのは、無理しているからなんですよね。

教わったことが絶対!
学校がすべて!
先生が正しい!
親が正しい!

これ、誰もが心のどこかで疑っている。
だから生活がしんどくなる。

しかし、実生活は淡々とこなさなければならない...
わが国にはルールも存在しているので、それを最低限は守らなければならない...

これも常識にしばられている。

「常識にしばられる」は一種の修業だと思う。

「常識」とバランスをとる方法とは?

では、どのようにしてその「常識」と戦わなければならないのか?

これが人それぞれ違うところであり、
趣味に没頭したり、
ハーブティーを嗜んだり、
飲み会を開催したり、
ライブを見に行ったり、
スポーツで汗を流したり、
旅行で環境の変化を楽しんだり、
セラピーを受けてみたり...

そうやって、バランスを取っている。

このバランスが取れないと、病んでしまう...

「芸術」というのは、「常識」とのバランスをとるのには最適なのかもしれない。

なので、Kさんの書を見て、「常識とはなにか?」を学ばせて頂いたのであります。

まとめ

非常識な所に、「本質」が隠れているのかもしれません。

がむしゃらに頑張っているから見えないだけで...

 

ブログランキングに参加中♪
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 30代 自分らしさへ
にほんブログ村
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心地よい暮らしへ
にほんブログ村


自己啓発書 ブログランキングへ

無料メールマガジン

 

5日間無料メールマガジン
【測量技師が教える、「苦手な人」「ムカつく人」との距離の取り方 】



 

 

-エッセイ